ワタシ編集局

伊丹、尼崎。街を舞台にした様々な活動の記録です。

本物の国語力

 話始めると延々と続いてしまう人がいます。特に自分の体験をもとにして語ろうとするときにはその傾向が強いです。結婚式のスピーチの話じゃなく、私主催の哲学カフェでよく見かける光景。なぜこういうことが起きるのかというと、基本的には「国語力」の不足に原因があるのです。

 若い人に国語力が足りないとよく言われますが、年配者、高齢者でも同じことで、むしろ高齢者ほど国語力がないのでは、と思うことが多いです。国語力とは、聞いている人、座にいる人に伝わるように話す(文章なら読み手にどう伝わるか)力のことを言います。座にどういう人が参加しているかを把握した上で、伝わるように話す工夫をするとなると、言葉の言い換えや補足の説明をしないといけない。それってものすごく面倒なことなので、自然と話は簡略化されていきます。

 高齢な人はいろんな立場、職業、人生観の人が混在している場に慣れていない。同質な人の集まりしか経験していない人が多いので、その傾向がことさら強くなるということはうなづけると思います。

 で、こういう能力って同じ年代の似たような境遇の子供が集まった学校の教室では絶対に身につけることができないんですね。国語の成績が良くても、その人が「国語力」があるという証明にはならないんですよ。ということを自分自身の身に照らして痛感する。

 いろんなバックボーンを持った人の集まり、凸凹な場に参加して、よりよく伝わる工夫をしながらしか、身につけることができない能力。それが国語力の本質だと言えましょう。

 手話通訳士が国語の学習を熱心されているというのもうなづけます。

永楽亭哲学カフェ〜人は変わるか〜 開催報告

11月12日(日)13:30〜 開催した哲学カフェの報告です。

7人で話をしました。

人は変わるかという大雑把なテーマに戸惑う声もありましたが、自分自身の変わっていった体験に引きつけた多様な話を聞くことができました。

十八歳ごろまでに人は出来上がっていくので、それ以降は変わらないのだという話がまずあって、そのことへの反発として人間は生涯変わり続けることができるんだという言説。そして十八歳以降の変化についての意見交換がありました。

社員教育によって、潜在的な能力を引き出してもらうことができる。

役割、地位によって変わっていく。

地位が上がれば悪人になる。

高齢者も変わり続ける。

中身は変わらないけれども、行動を変えてみる。そうすることで質的な変化をもたらすことができる。

今回、面白かったのは自分自身が変わった体験の語りが多かったことです。

・元来、理系人間で読書嫌いだったのが、文学全集を読破するというノルマを自らに課すことで無理やり自分の生き方を変えていった人

・病気で苦しんでいた日々、自分でその病気の根本原因を発見し、食生活の改革を通じて、新しい世界観を獲得していった人。

・80キログラムあった体重を一念発起してダイエットを貫徹した男性。ダイエット中は苦痛はなく、変わっていく自分に喜びを感じていたそうです。

 

続けていくことで、たとえ結果が出なくても、何かを得られるはずだ。それは変化に通じる。変わっていく自分を感じることは喜びだ。

しかし、変化を感じられなければ続けられないこともまた真実。

人との出会い、環境の変化がなくても、変わりたいという内的欲求を持つことで人は変わることができる!

 

最後に個々人が変わることで、広く社会を変えることができる、という話がありました。

ーみなさんはどう思われますか。

 

 

 

手話サークルの研修会

手話サークル「たんぽぽ」の秋の研修会は香川県讃岐うどん探検。

3台の車に分乗して総勢15名。

私はろうの方の運転する車に乗せてもらいました。

ろうの人は昔、欠格要件に該当していたので運転免許の取得ができなかった。仕事の必要に迫られ、止むを得ず無免許で運転し、大勢が検挙されていたのだとか。耳が聞こえないことは、運転する上でほとんど障害にならないんだと、危なげのないベテラン運転手の手つきを後部座席から見ていて、実感。法律の規定の中にも、思い込み、先入観による規定がまだまだたくさんあるんじゃなかろうか。

昔の在日コリアンの方の指紋押捺問題を思い出す。中学生の頃だった。在日は犯罪を起こしやすいという思い込みによるもの。

思い込みによる法律の規定はまだまだたくさんあるような気がする。悪法も法じゃなく、悪法は改めさせていかなければならない。

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3軒目の梅わかめうどん